展示記録:金藤みなみのじゃじゃ馬らなしに参加しました

 

2019/5/1-8に、アーティストの金藤みなみさんのグループ展に参加した。

シェイクスピアの劇、じゃじゃ馬ならしをテーマにしたグループ展だ。

詳細は金藤さんのステイトメントから以下のようになっている。

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本展覧会は、シェイクスピアの喜劇「じゃじゃ馬ならし」をモチーフとした「金藤みなみのじゃじゃ馬ならし」の小説・関連映像作品を中心とした展示です。企画の金藤は本展覧会について以下のように記しています。
じゃじゃ馬ならしが有名である理由に、英国演劇史のみならず多くの劇に影響を与えた点と、ミソジニー的解釈によって多くの議論を巻き起こした点が挙げられるでしょう。昨今、ジェンダーイコールを中心とした様々な議論が活発化しています。私は私なりに、ジェンダーへの問いを投げかけたいと思います。厚みのある議論の展開の1つとして、本作品群の展開を楽しんでいただけましたらと思います。」

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シェイクスピアの戯曲を読むのははじめてだったが、かなり読みやすく、現代からするとジェンダー的な問題はあるものの、男女の激しい愛のことばの掛け合いがおもしろく、もし、百年後までこの戯曲が読まれるとしたら、ジェンダーの視点からではなく恋愛の面白さの視点で注目されるのではないかという考えから作品を作った。


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↑私の作品画像 タイトル:未来の恋人たち

 

縦長のディスプレイに、劇中の夫婦(になる予定の)二人のやり取りをLINEで再現したものを、それぞれ男はさだまさしの関白宣言、女は西野カナのトリセツをBGMにして流した。

未来の恋人というのは、シェイクスピアの時代から見た未来でもあるし、我々から見た未来に、人間が存在せず機械だけが生き延びた世界のことかもしれないという意味を込めた。

また、じゃじゃ馬ならしは戯曲であることから、LINEのメッセージを打つという行為が、役者が台詞を発する行為の再現にもなっている。

 

この作品は、金藤の、ジェンダーへの問いかけ、というステイトメントへの応答になっているのか?という疑問があるかもしれない。

しかし、私はジェンダーへの問いかけ、とはなにか?というところから考えたいと思っている。

女は、男は、こうあるべきというようなステレオタイプへの批判へは同意するが、恋愛とは個人と個人の関係性でなりたっている。

じゃじゃ馬ならしのように、征服する男、される女、という関係で成り立つカップルもいる。(もちろん、そういうものを批判してフェミニズムが成り立ち、現在の女性の地位向上に繋がっているということは知っているが。)

さらに考えると、征服されることで逆に男を征服するという、女の強かな生き方も特に日本では支持されていると思う。(これに関してはトリセツへの柴田英里さんの記事が面白かった https://mess-y.com/archives/23387)

そういったことから考えると、単にステレオタイプ批判だけではなく、個々人の性質も考慮した上で批判は行われるべきだと思っている。もっとフェミニズムの勉強が必要ってことも思い知らされてはいますが。

 

なんかまとまらなくなっちゃったな。

とりあえず、以上作品や考えの紹介でした。

 

このテーマの展示に金藤さんが誘ってくれたことと、太陽さんに、エキソニモより良い作品って言われたのが嬉しかった。

あと、動画編集と設営でちょっとてこずったので経験値とスキルをあげていきたい。

 

次決まってるのは11月の展示予定だけど、その前にwebで作品作ろうと企ててるから皆さんチェックしてくださいね。

 

では🌜